<どこかで見た連中(3)>
市場に戻って来てみたのはいいが、銅像の周りや先程の商店にもアリシアとレナードの姿はなかった。
「まったく、どこに行ったんだ?」
アザムが戻ってこないうちにと人込みをかき分け辺りを捜す。と、視界の片隅にひときわ目立つ赤い頭が飛び込む。
「蒼くて〜、とてもきれいですの〜」
続いて聞こえてくる明るい唄うような声。
「…………」
近付いて行ってみるとはたして二人がのんきに買い物をしている。
よほど夢中になっているのか、ウィルが背後に近付いても全く気付きもせずにひたすら商品に見入ってはしゃいでいる。
「300もいたしますの〜?もうちょっとお安くなりませんか〜?」
「250ならなんとか負かるけどな、それ以下にはなんねえなあ」
「250〜……ううう〜」
呻いているわりには楽しそうである。どうやら目の前に置いてある蒼い石のはまった髪飾りをほしがっているようだ。
「アリシア、そんなに欲しいのなら俺が買ってやるぜ?」
「いいです〜買うなら自分で買いますの〜。でも〜、ちょっと大きな金額ですので決心がつきませんの〜」
本当に真剣そうに眉を寄せながらアリシアがあっさりと答える。苦笑するレナードがふと振り返って、苦い顔で見ているウィルに気付いた。
「おう、なんだ戻って来てたのかよ」
「……何をしてるんだ、お前らは……」
本日二回目の同じ場面に呆れる。
(全く、仕事中という認識はないのか?)
そんなウィルの心境を知っているのかいないのか。レナードは肩を竦めてのんきに笑った。
「みてわかんだろーが、買い物だよ。アリスがなんか悩んでてさ」
ひょい、と話題の彼女が顔を上げてウィルに笑いかける。
「あ、ウィル〜。この、宝石ってどうでしょう〜?これ、300するのですけど〜」
にこにこしながらくだんの髪飾りを示してきた。
ウィルは一瞥しただけで首を振り、
「待ち人がいる。さっさと行くぞ」
と銅像のある広場に戻るために背を向けた。
「おっとと、アリスちゃんいこーぜ」
「え?あ、えと。ごめんなさい〜、もうすこし考えてみますの〜」
「そうかい?残念だな、掘り出しもんなのに」
「ごめんなさい〜」
おたおたとした気配を背後に感じて、すこし笑う。
捨てて来たもの、手に入れたもの。
(少なくとも、自分は生きているな)
雑踏の中においても見つけられる、確かなものがある事が、妙に嬉しかった。
「しかしあれだよな、アリシアって蒼い宝石好きなのかい?」
「え?」
銅像のまえでアザムを待つ間。
レナードに唐突に話を振られてきょとんとする。
「いやほらさ、さっきほしがってたやつもだけど、いつもいじってるペンダントも蒼いだろう?」
「……ああ、そう、ですね〜」
ちゃら。
胸元の、うずらの卵程の大きさのだ円形の蒼い石でできたペンダントに触れる。
「そうですね〜。蒼いものが、好きですから〜」
――透き通る、蒼い蒼い―――
「とても優しくて……冷たそうなのに、暖かくて……」
――わたくしだけを見つめて、わたくしだけに触れて――
「好きですね〜……」
ちょっと笑ってみせる。
(自然に笑えているかしら?私は笑っているかしら?)
自信は、なかったけれど。
「やっぱり先ほどの髪飾り、買っておけばよかったです〜」
「やめておけ、ろくな石じゃなかった」
「あら」
まっすぐ前を見たままのウィルの言葉に目を丸くする。
「ちらりとしか御覧になってないと〜……」
「あの程度の石ならちょっと見ただけでわかる。粗悪品だ」
「まあ〜。すこし、残念です〜」
これに合わせて欲しかったのに、と呟く。
(蒼い色に包まれるのが好き。優しい気持ちになれるから……愛しい気持ちになれるから……貴方を感じるから)
ぼんやりと隣で繰り広げられている仕事についての話を聞き流しながら、彼女は人込みを見遣る。瞳にはそこにあるものはなにも映ってはいないけれど。
(どうしてかしら……今日はこんなにも貴方を想ってやまない。苦しいくらい……)
あの少女の涙のせいだろうか。
痛い程求めても手に入らない愛しいもの……もはや失われてしまった温もり……せめてその欠片だけでも大切に思う事はだれしも同じ……。
右手の中にある滑らかな冷たさを幾度も確かめるように撫でる。
(失ってなど、いない。それを確かめるために私はここに生きている)
「本当に、変な日です〜」
のんびりと呟くアリシアを不審そうにふたつの顔が振り返る。なんでもないですよ、と笑って言い、ウィルの肩ごしにこちらに向かってくる小さな姿を認めた。
「あの〜、もしかしてあの子が〜」
「……ああ、アザム。こちらだ」
向こうも軽く手を上げて合図したウィルを発見して小走りになった。
「わかったよっ」
器用に人を避けて、母子像の前に辿り着く。少し息をきらしていたが、その表情はいきいきとしていた。
「あれ、クリストフっておばさんが買ったらしいんだ」
「……そこの家はわかるか?」
「うん、わかるよ。よく通る道だから」
上気した顔で同意する。その頭にぽん、と手を置いて、
「じゃあ、案内してくれ。……それが、お前の責任だ」
背の高い姿を見上げて、少年はしっかりと頷いた。
「とと……俺、あんたの名前知らないや。教えてもらえる……かな」
「ふむ……ウィル、だ。こちらのはアリシアとレッド」
「ウィルさん?」
「呼び捨てでかまわん」
アザムはいささか呆然と彼等……いや、というよりもウィルの様子を見ていた二人を振り向き、
「アザムっていうんだ。よろしくっ」
楽し気に名乗るその笑顔には一点の曇りもなかった。
ペンダントを購入したと言うその婦人の家は街でも高級な邸宅が並ぶ一角にあった。ボードウィン家はこの辺りのもっと中心に邸宅を構えている。
「と、ここだよ」
そこそこの大きさの屋敷の前で立ち止まり、少年はすまなそうな顔になった。
「俺のなりじゃあこんなとこ入れないから……」
「…………ああ。そこまででいい。お前は、外で待っていろ」
全く怯む事なく屋敷の門をくぐり、出て来た使用人にクリストフ夫人への取り次ぎを依頼する。相手は冒険者と見て少し嫌そうなそぶりを見せたが、結局は奥に知らせにいった。
しばらくして出て来たのは、質はいいがいささか趣味の疑われる衣装の40がらみの女性。一見してこれがクリストフ夫人であると見て取れた。
「なんですの?宅の主人は仕事で出かけておりますのよ」
ぱたぱたと華やかな扇子で扇ぎながら応対している。冒険者相手にもわりと気さくに話を始める所を見ると、いわゆる噂好きの『おばさん』といった種族に属するようだ。
「……いや、あなたに聞きたい事があるのですよ」
改まった口調でウィルが言う。
「あの〜、先日お求めになりましたペンダントのことでお話が……」
「ペンダント?」
急に険悪な表情になって、吐き出すように
「あれなら確かに私が買ったざますよ!」
豹変した夫人の様子におろおろするアリシアを後目に、レナードがかなり乱暴な口調で口をだす。
「まだ持ってんのか?」
「……おい」
クリストフ夫人がきっとレナードを睨み付けた。
「なんざんすのあんた?あんたみたいな人とは話はしたくないざんす!」
「んだあ?」
舌戦に持ち込もうとするレナードを無理矢理押しやり、ウィルが小声で、しかしかなり鋭く。
「…………頼むから大人しくしててくれ」
警告を発して、クリストフ夫人の視界に入らないように自分の背後に回す。
「……申し訳ないが。それはもともと人の持ち物なのだ。それ相応の金を払うので、買い戻させてくれないか?」
口調は普段通りに戻っているものの、それなりの丁寧さのようなものが込められたウィルの言葉にすこし夫人が機嫌をなおしたように頷いた。
「あんたはなかなかまともそうざんすね。……あのペンダントは盗品だったざますか。でも、もう私の手元にはないざますの」
「え……」
おろおろと様子を見ていたアリシアが目をまるくする。
「あの、ではどちらに……」
「盗まれたんざます」
溜め息と同時に吐き出すように言う。
「なっ……」
「やれやれ、大した管理だなあ」
呟くような、しかしはっきりと聞こえるように吐かれた台詞に、かなりの怒気を孕んで、
「……だから、黙ってろよ、お前は」
パーティー1の苦労者が囁いた。同時にいつもは柔らかい薄紫の瞳に危険な程強い光りを宿らせて、女魔術師がぼそぼそと
「静かにしていて下さいな……」
普段のぼけた口調はどこへやら、冷たく呟く。
(…………怖ぇ……)
肩を竦めて二人の後ろに下がる。
それを確かめてウィルが再び口を開いた。
「……しかし、盗まれたのはペンダントだけなのか?物とりなら他の物も盗むはずだろう……」
「ああ、それは違うざます。盗んだのは、猿ざますから」
「…………猿?」
首を傾げた娘に、おばさまはしっかりと頷いて拳をにぎった。
「猿ざます。窓をあけて片づけ物をしていたら、その間に入って来て持っていってしまったざます!!」
「猿…………」
「……普通の猿だったか?」
そっと横のウィルを見上げると、やはりなにか含むものがあるらしく苦い顔をしている。猿……。
(つくづく、なにか御縁があるようです…………)
心の中でアリシアは疲れたように溜め息をついた。
「普通というのがなんなのかは判らないざますけれど、あれは猿ざます。ああ……あの絵が、昔の私とそっくりだったから、とても気に入っていたざます……」
遠い目をしてクリストフ夫人がなおも語っている。――正直に言って、あまり彼女はエルフォナに似ているとは思えない。
そろそろお暇しようと思った時、背後からぼそりと不吉な言葉が呟かれた。
「ホントに猿だったのかぁ?あんた、目も悪そうだからなぁ」
わざわざ《も》を強調して。
げしっ。
力いっぱいアリシアのかかとがレナードの足を踏むと同時に、
「あんたなんか顔も見たくないざますっ!!」
夫人の手から持っていた扇子が投げ付けられた。そして一行の目の前で扉が乱暴に閉じられる。
「へっ。とんだ無駄足だったぜっ!」
「…………レッドさん…………」
聞こえるように声を張り上げるレナードの耳朶をひんやりと妙に穏やかなアリシアの声がくすぐった。
「は……はははは……」
「数少ない手がかりを〜……」
「いやほら、あの、つまり」
「どうしてそう邪魔ばっかり〜…………」
じりじりとスタッフがかかげられる。
「黙っててくれればそれでいいものを〜っ」
「まてっまってくれっっっっ!!おいっウィル、とめてくれっっっ」
いつの間にか離れた所にいたウィルが、冷たく見据えて、
「……口は災いの元か。良い見本だ」
「おい〜〜〜〜〜〜〜っっっっっ!!!!」
レナードの叫びが響く。
それから暫くして。
いまかいまかと彼等の帰りを待っていたアザム少年の前に現われたのはアリシアとウィル。
「あれ……レッドさんは?」
素直な問いに、金の魔女はこの上も無く優しく微笑んで、
「あのね、世の中には知らなくてもよろしい事がたくさんありますのよ〜」
ウィルはそっと、屋敷に向かって合掌した。