<どこかで見た連中(4)>
屋敷街を抜けてざわめきの残る街角へ戻って来ると、アリシアは疲れたように石段に座り込んだ。
「はあ……とりあえず猿を捜しましょうか〜」
「猿だな。まあ、町中では目立つだろう。なにか近所の者に聞いてみるか」
ウィルが言うがはやいか、脱兎のごとくレナードが走り去り、やがて戻って来た。
「お、おう。昨日猿を見かけたってよ」
なにやら少し畏縮したように報告する。澄ました顔でアリシアは頷いた。
「それを見かけたのはやはり昨日か?」
「おう。昨日以外では見かけたとかいう人はいなかったぜ」
「昨日限定の猿ですか〜……やはりどなたかがお飼いになっていると考えた方が〜」
ふにゃ、とひざに頭をのせて呻く。そうしているともともとそれほどでもない年よりもさらに幼く、少女のように見えてしまう。
「……まあ、それも考慮に入れたほうが良いな。アザム、お前は猿についてなにか聞いた事はないか?」
先ほどから傍らで眉を寄せている少年を見おろして問う。うん、といいながら少年は口を開いた。
「それがさ、友達がなんかそんなこと言ってたのがいるんだけど」
「何?……何でもいいから教えてくれないか」
「額のところににきびのある猿が鏡を盗んでいくって……」
「…………なんだと!?」
「おいおいおいおい」
レナードもウィルも思わず声をあげる。
「あ、……あの猿、ですか〜っ!??」
悲鳴のような声でアリシアが呻き、天を仰いだ。アザムはそんな一行の様子に驚き、なにか不味い事でも言ったかとうろたえている。
「ああ……すまん。その話を、もう少し詳しく教えてくれ」
「えと、俺の知ってるのはそれだけだよ。なんなら、その友達呼んで来るけど」
おずおずと提案して、ウィルが頷くが早いが走り去った。
「……あの猿〜……」
「かなり目立つ特徴だからな……」
「やっぱり、とどめさせなかったのが悪かったでしょうか〜……」
「い、いや、無益な殺生は控えた方がいいぜっ」
「お前がそれを言うか……?」
びくっとアリシアの台詞に怯えたように身を竦めて、慌てて顔の前で手をふるレナードを横目で見ながらウィルが毒づく。レナードの戦いの時の豹変振りを知っている人間ならばみな同じ感想を抱くだろう。ちょっと眉を寄せながらアリシアも心の中でそっと頷いていた。
「それはそうと……来たか」
路地の向こうから少年と、背の高い若い男が走ってくる。
「ごめん、なかなかみつかんなくて」
「いや、早かったな……君が猿のことを知っていると?」
「まあね。しかしなんで猿なんか?」
青年が軽く頷く。
「まあ……ちょっとした事情だ。知ってる限りの事を教えてくれないか?聞いた話でいいのだが」
「ん〜。北に山あるだろ?そこに古い塔があるんだけど、いつの間にか猿が住み着いててさ。そいつが鏡が好きみたいで集めてるらしいんだ。最近ここの付近の村に出没してたのは知ってっけど、この街にまで来たのか」
「鏡好きの猿……やっぱり、あれみたいですの〜」
アリシアの呟きを聞いてレナードも頬を掻いた。
「奴に間違いないみたいだな。こいつは思った以上に厄介なヤマだぜ」
「君は、その話をどこから?」
「うん?ああ、俺は情報屋だからくだらない情報も自然と入ってくるんだよ……おっと、情報料もらうの忘れてたな」
苦笑しながら青年がぼやく。
「こうなったら、俺達も鏡でおびきよせるか?」
「鏡ならわたしが持ってますけど〜」
ポーチから取り出して見せる。アリシアの手にすっぽり収まる位の大きさの、繊細な彫金の施された、さり気なくそれでも品の良い高級さが漂う逸品だ。
「ふむ…………あいつがその塔に戻っているとは限らないからな。一度試してみるのも悪くはないだろう……。ほかに目撃情報はないのか?」
「さあね、俺は知らないよ。ま、俺の情報を信じるかどうかはあんたら次第だぜ」
「ふん、まあ信じるさ。お前の商売だろう」
「あっ」
ウィルの言葉にあわててアリシアが情報屋の袖を引いた。
「あの〜、申し訳ありません、いかほどお渡しすればよろしいんですの〜?」
だいたい情報屋の相場など決まったもので、情報の重要度によって変わってくる。この程度の情報ならばそれほどの金額ではないだろうが、むしろそのせいで見当がつかなかった。
「……今回はいらねえや」
笑うと口元にエクボがうかんだ。ぽすっとアザムの頭に手をおいて、片目をつぶってみせる。
「こいつの紹介じゃな……そんな大した情報じゃねーし、今回はただにしておいてやるぜ」
「……そうか……すまないな」
「金取らずに商売できるほど潤っちゃいないけどな。これは信用で売ってやるようなもんかな」
言って、少年の髪をくしゃくしゃにする。「やめろ〜」とアザムがもがいても、なかなか止めない。
(兄弟みたいですのね)
戯れているようにしか見えない二人にアリシアがくすくすと笑う。
「では、どういたします〜?」
「誘き寄せるとは言ったもののどうしたもんか。見せびらかしてりゃいいのか、普通の鏡でもいいのか。わからんなー」
「誘き寄せて捕まえてもブツを持っているとは限らないと思うけど……」
おずおずとアザムが言った。それに答えるようにウィルが苦笑いを浮かべた。
「まあ、その通りだな。何処に出没するのかも良く判らん」
「では、直接塔に向かいますの〜?」
いいかげん焦れて来たらしいレナードが大きく伸びをした。
「どうせ塔にもどんだろ、住処みたいだしな。鏡を見せびらかしながらいきゃあ道中やって来るかもしれん」
「では〜、これを使いましょうか〜」
言って先ほどの手鏡を「はい」とレナードに渡す。
「え?俺が持ち歩くのか?……みっともねえな……」
「わたしが持つよりは目立つでしょう?お願いいたしますね〜」
小さな笑顔を浮かべたアリシアにぼやきつつも、レナードはそれをしっかりと腰に革ひもで結び付けた。
「さて、行くか?」
「そうだな。いそぐに越した事はないだろう」
言ってウィルはアザムを振り向いた。
「すまないが、街で情報を集めていてもらえないか。我々と猿がすれ違いにでもなっていたら厄介だからな……」
「もちろん!」
アザムが大きく頷いて同意する。
「まかしといてよ」
「頼むぞ……では塔にむかうか」
ウィルが二人をうながし、青年に軽く頭を下げて路地を広場に抜けていった。
「……どうしたんだい、ライアス?行かないの?」
少年がいつまでも動こうとしない情報屋を見上げて不審そうに聞いた。
「ん、ちょっとな。悪りぃけど、外してくれるか?」
「……わかった」
何を悟ったのか、素直に頷いてアザムは路地を先程冒険者たちが出ていったのとは反対の方向に走って去っていった。
「っと、もういいぜ」
少年の姿が消えたのを見届けてから、情報屋は声をあげた。
すっと路地に入って来たのは薄紫の瞳を細めた淡い金髪の少女。
「……なんの御用事ですの〜?」
口調は変わらないが、微かにその裏に鋭いものが潜んでいる。それを感じたか青年は両手をあげてにやりと笑ってみせた。
「別に警戒する必要はないぜ。んな、取って喰おうってわけじゃないんだから……戻って来たってことはわかってんだろう?」
「あんなにあからさまに合図されれば嫌でも参りますわ。ウィルが気付かなかったのが不思議なくらい」
凛とした声でアリシアが言い放つ。普段の柔らかく、どことなくあどけない面影はどこにもない。
「で?貴方は何を御存じなのかしら?私が捜している情報をどうして察したのかしら?教えていただける?」
「そんなに特別難しい事じゃないだろ。あんたはとにかく目立つし、仮にも情報屋なんでね。……どっちが欲しい。あんたが追っている情報と、あんたを追っている情報があるぜ」
「…………」
瞳の紫がふっと濃くなる。
「追っ手はいらないわ。……いつだって父様がお諦めになる事はないもの」
「わかった。んじゃ商談成立でいいんだな?」
「確実な情報ですの?……時折居りますのよ。判らないだろうと適当な事を申すやからが……ね」
静かな口ぶりだけによけいに凄みが感じられる。
(ただのお嬢さんってわけじゃねーな……たいしたタマだぜこりゃ)
感心しながら青年は頷いてみせた。
「さっきも言っただろ?この商売は信用第一だってさ。……ま、俺を信用できないってんだったらこの話はお流れだけどよ」
「それもそうね。よろしいですわ、貴方を信じます」
あっさりと言ってのけた彼女にいささか面喰らう。
そんな彼がおかしかったのか、アリシアはふっと笑いをうかべた。あの冒険者たちがいた時には見せなかった、冷たいような暖かいような不思議な微笑みだった。
「貴方を信じるというよりも……あの少年を信じるといったほうが判りやすいですわね。なんだか、貴方は信用がおけそうな気がしますの」
「なるほど、ね……」
アザムが信頼しているからこそだ、というわけか。
(あながち間違いじゃねーな)
自分でもどうしようもない甘さだと思うが、あの盗賊には不向きな程純粋な少年をみていると、昔自分が無くしてしまったものが思い出されるような気がしてひどく優しい気持ちになってしまう。そして、その純粋さを護ってやりたいと考えてしまう。
(あいつを傷つけたくねぇもんな)
腹の中で呟くと、そんなことはおくびにもださずに肩を竦めてみせた。
「ま、いいけどよ。そんな甘い事言っててよくいままで無事だったな?」
「ふふ……人を見る目は、無いわけではないと自負しておりますのよ」
その微笑みはすべてしっているぞと言わんばかりで、青年は胸中で深く溜め息をつく。
「ところで、あまりウィル達をお待たせするわけにはいきませんの」
「おっと、そうだったな。…………パダだ」
「どういう状況で?」
「いつもどおり……少なくとも俺が知ってるあんたの求めてた情報どおりってとこだな。一人で、いつのまにか出現したって話だ。もっとも今回はすぐに姿が見えなくなっている。ってことだ」
「そう……」
ふっとその顔に影が落ちた。ちゃら……おそらく本人には無意識なのだろう、右手が胸元のペンダントを弄んでいる。
「それと、こいつは大サービスだ。あんたがこういう情報を集めている事はもう実家の方には知れている。俺のこの情報よりも早くあんたの親の元に知らせが行ってるかもしれないからな……その場合、もし行くとしたら先回りされていてもおかしくはない」
「わかっています」
「ついでに偽情報を流してあんたをおびき出そうとするかもしれないってこともあるからな。……と、この情報はマジモンだからな、心配しなくてもいいぜ」
はっとアリシアが顔をあげる。青年はまた片目をつぶってみせる。
「おまけだ。あんたがこの街にいることは知られていない。あんたの兄上は今頃タイデルにいるってね……ほかの連中はしらんが」
「……どうして…………」
「どうしてってあんた、蛇の道は蛇って言うだろ」
「いえ……そうではなく、どうしてそんなことまで教えてくださるの?」
困惑しきった顔でアリシアが呟く。
「あ、まあな」
ちょっときまり悪そうに頭を掻いて、彼は笑った。
「アザムがさ、どうやらあんたらに世話になるみたいだしな。まあ……お礼がわりみたいなもんだ」
「それは……」
「ついでに、俺があんたを気に入ったってとこかな。と、俺名乗ってねーな。ライアスってんだ、覚えといてくれ」
「私は……ふふ、御存じでしたね」
今度の笑顔は幾許かの柔らかさがあって、それがよけいに鮮やかにアリシアの生来の優美さを際立たせていた。
「アリシア=フォン=イデア……オランの人形姫か」
青年はほんの少し紅潮した頬を隠すように横を向いて言った。
「その名を御存じなのですね」
アリシアが伏し目がちに呟く。笑顔の名残りは消え去り、ただ憂いだけがその面に漂う。
「貴族しか存じないものと思っていましたのに……」
「ああ……まあ、本職だしな。あんたが実名を名乗りだしたころからわりと広まってるぜ。『イデア家の人形姫』が冒険者のアリシアだってこともな」
「――そうですか」
ふるふる、と金の髪が揺れる。
「本名を名乗るようにしてから覚悟はしていましたけれど、以外と早いものね」
「というより、いままでむしろ良く連れ戻されなかったな」
「……蛇の道は蛇、ですのよ」
悪戯っぽく微笑んで。
彼女はぱんぱんと薄紫のローブの裾をはらった。
「さ、いい加減レッドさんたちも待ちくたびれているでしょうし〜。わたし、行きますね〜。あ、大変……」
取り出されたのは小さな革袋。
「忘れるところでした〜。これを〜」
「おう、遠慮なく受け取るぜ」
掌にうけると、ずっしりと予想よりも重量感があった。
「お、おい。こりゃちょっと相場よりもおおいんじゃねえか?」
慌ててもう遠ざかりつつある少女の背中に声をかける。ふりむくと、魔術師はふわりと笑った。
「よろしいんですの〜。それで、アザムになにかおごってあげてくださいな、ライアスさん。……では、また」
澄んだ声で呼ばれた自分の名前の響きに驚いている間に、アリシアの姿は路地の角の向こうに消えていった。
「へ……『ライアスさん』か……」
なぜ彼女がこうも長い間追っ手から逃れていられたのか。そのわけがなんとなく分かったような気がした。いくら世界に触れても、汚れる事のない純粋さ。きらきらしく、己まで照らしてくれそうな……それが彼女。
「俺もやきが回ったかな……」
少なくとも彼女はこの自分からはその居場所が明かされる事は無いだろう。少しでも彼女が自由な空の下にいられるように。『人形姫』に戻る事のないように。彼女が願いをはたすまで。
ちゃりん。
革袋は青空を背にして涼やかな音をたてた。