<どこかで見た連中(8)>
下の階でみたのと同じ、塔の階を丸ごとひとつの部屋にした巨大なホール。その中央を、大きく割れた床がこちら側とあちら側に分けていた。
天井近くにある小さな窓から差し込む夕暮れの光に、床に散らばったたくさんの鏡がきらきらと反射してあたりに光をまき散らしている。
「……きれい……」
ぼんやりとアリシアが呟いた。
と、同時に、なにかが向こう側の開いたままの扉から飛び出していき、その向こうからあまりにも聞き覚えの在る叫びが聞こえてきた。
「…………」
「…………」
「…………」
三人は顔を見合わせ、また対岸の扉を見る。
「猿だな」
「猿だぜ」
「猿ですねえ〜」
口々に言ってから、ふとアリシアが小さく首を傾げた。
「……行っちゃいましたけれど〜」
「…………って、惚けてる場合じゃないだろっ」
レナードの叫びにウィルが割れ目に走った。幅を目で測って首をふる。
「確か、3階の扉が向こう側に繋がっていましたの〜」
聞くが早いが、三人は階段にむけて走り出す。2、3段飛ばして、ほとんど転がり落ちるような早さで3階に辿り着き、扉を叩き開けて反対側へ向かう。幸いにも鍵はかかっておらず、抜けるが早いがまた今度は二階分かけのぼった。
「も……もう、だ……め……です〜…………」
足は速いものの耐久力に欠けるアリシアが一番に辿り着いて、肩で息をして5階に足を踏み入れたところでへたり込んだ。
「……やはり、猿は逃げ切ったか……」
ちらりとも疲れを見せずにウィルが呟き、大量に散乱している鏡の中から一つ、小さくて一際輝いているものを取り上げる。
「おう、それか?」
「ああ……間違いはなさそうだ」
一息おくれて部屋に入ってきたレナードに頷いて、手の中のペンダントを二人に見せる。
「ああ……そうですのね〜」
鏡の裏。色鮮やかに焼きつけられた陶器の肖像画の女性は、豊かな栗色の髪も濃い茶色の瞳も、そのままに大人びたエルフォナの姿を映していた。
「へ〜……綺麗じゃねーか」
言って、レナードはにやりと笑った。
「でも、あのばばあには欠片も似てないな」
その言葉に、レナードの言動に怒り狂っていた婦人の姿を思い出してアリシアもつい笑ってしまう。
「ふん……まあ、良いか。これがあっただけ上等だ……」
再び猿を逃してしまったことはいささか悔やまれたが、猿は所詮猿。そう思うことにして、ウィルは依頼の品を大切にしまいこんだ。
「……アリシア?なにをしている」
「なにをって……これらも、持ち帰ろうかと〜」
他の鏡を集めて廻っていた魔術師は、聞かれたことに不思議そうに応えた。
「なるほどな……値うちが無さそうならいいような気もするが」
「値うちがどうこうではありませんの〜。他にも、エルフォナさんみたいに困っている方が在るかもしれませんもの〜」
せっせと広いながら言うアリシアに頷いて、ウィルも足下の一枚を拾い上げる。
「まー、やっといて悪いことはないだろうよ」
アリシアが持ち切れない分を持ってしまいこんで、レナードが大きく伸びをした。
「……重いけどよ」
背中の荷物の増えた重量と、帰りの道の長さを思って自然溜め息がでる。戦士は隣のウィルと目を合わせ、まだ一生懸命拾い集めているアリシアを見遣って、二人で苦笑を浮かべた。
「ありがとう、本当にありがとうっっ……」
ウィルに渡されたペンダントを握りしめ、泣きじゃくるエルフォナの姿に傍らのザサスもその目に涙を浮かべていた。
「本当に……ありがとうございます。なんとお礼を申したらよろしいか……」
「いえ〜。エルフォナさんが、笑って下さるだけで嬉しいです〜」
にこにこと柔らかな笑みでアリシアがそっとエルフォナの髪を撫でた。しばらくその手に頭を預けて、何度も何度も頷いて少女が泣く。
その様子に、ウィルは自分の後ろに隠れるようにして立っていたアザムを押し出した。
「……ほら、きちんと正直に言うんだ。全ての事をな」
らしくない彼の行動にレナードが冷やかすような視線を送る。それを完全に無視して、少年を促す。見上げてくる少年に軽く頷いてやると、意を決したようにまっすぐにエルフォナを見つめた。
「あの……」
アザムの声に少女が顔を上げた。
涙の後は濃いが、いまその顔には喜びの色しか無い。
「あの……ごめんなさいっ」
突然自分に頭を下げた少年に目を丸くする。
「その……ごめん。ペンダント……盗んでしまって。あの……」
口籠りながらも必死になって言葉を紡ぐ。その姿に冒険者達は視線をかわし、ザサスにも合図をしてそっとその場を離れた。
そんな彼らにも気付かない程あせりながら、アザムは言葉を探した。けれど、いくら探しても結局言いたいこと、言わなきゃいけないことは一つだけで。
だから、彼は目の前に立つ栗色の髪の少女を見つめた。
「――――俺、君のことがずっと好きだった。だけど、俺はこんな人間だから近付くことなんかできないからって……なにか、君の持っているものだけでも欲しいって思って……ペンダント、盗ってしまった……ごめん。それは、大切なものだったのにね……。俺……君を泣かせちゃったね……」
突然の少年の告白に虚をつかれたように黙っていたエルフォナだったが、やがてその唇が緩やかな弧を描いた。
そして、頭を垂れたアザムの手を取った。
「いいわ。許してあげる」
弾かれたように顔をあげたアザムに笑いかける。
「いいの。ちゃんと戻ってきたんだもの。今日は、こんなに素敵な日ですもの!」
鮮やかな彼女の笑顔にアザムが泣きそうに顔をゆがめる。しかしやがてそれは笑顔に変わっていった。
「…………ありがとう」
笑う彼女に万感の思いを込めて、呟いた。
少し離れたところで報酬のやり取りをしていた大人達は二人の様子に目を細めた。
「お嬢様にもお友達は必要なのですよ……」
ストリートチルドレンであるアザムに一番難色を示すかと思えたザサスが、思いも寄らないことを呟いた。
「……アザムでよいのか?」
ウィルの言葉に優しい光りをその目に浮かべる。
「お嬢様には自由な風を差し上げたいのですよ。あの方には貴族だけの交わりは御可哀想ですじゃ……」
「へっ。じいさん、分かってるじゃないか」
皮肉のように呟いたそのレナードの言葉の響きは酷く優しい。
「ああ……見えるものが、違う人間との交流は大切だと思うぞ」
ウィルの言葉にはなにか深い響きがあって。
ただ、一歩下がって二人を見ていたアリシアは、言葉も無くそっと胸元の蒼い石に触れた。その唇が音も無く小さく動いて、ゆっくりと噛み締められた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん!ありがとうございましたっ!」
ぱたぱたと駆けてきたエルフォナが勢いをそのままにアリシアにぎゅっと抱き着いた。思わず後ろに転びかけてなんとか踏み止まり、ほにゃっとした笑顔になって抱き締め返す。
「喜んでくれて嬉しいですの〜。大事に、なさってくださいな〜」
何度も嬉しそうに頷く少女の頭に、ぽんと手を置いてウィルが、
「……言っただろう。俺達はプロだと」
「うん!最高の冒険者さん達!」
浮かべられた笑顔はなによりも輝いていて。
きっとこれがなによりもの報酬なのだと、誰もが思った。
――――後日。
「痛ぇ……腹が痛ぇ…………」
「あんなに飲むからだ、馬鹿者。限度をしらんのか」
「ウィル、相手にしない方がよろしいですの〜」
テーブルに突っ伏して呻く赤毛の男に、冷たい視線を送るウィルとアリシア。
「……やはり、先日言ったお店、御夕食二人で行きませんか〜?こんな様子ではレッドさん、お食事なんて、もってのほかですものね〜」
「ああ。行くか?」
「そうですのね〜……ああ、アザムを誘うのもよろしいかもしれませんの〜」
ぽん、と手を叩くアリシアに同意するように頷いて、席を立つ。
「では呼びに行こうか……」
「ライアスさんもいらっしゃればよろしいですけど〜。参りましょう〜」
そのまますたすたと立ち去ろうとする二人に恨めしそうな視線を送って、
「お前ら……友情と言うものはないのか〜…………いててて……」
「……反省と言うものを知らんやつには」
「同情の余地はございませんの〜」
妙に気があった台詞を残して、アリシアとウィルは店を出ていった。
残されて力尽きたように頭を落とすレナードに視線をやって。
カウンターでグラスを磨いていたマスターは、大きく笑った。