<猿、増える(2)>
「よし、じゃあここで野営するか」
街を出発してどれ程進んだろうか、本格的に夜になる前に野営する場所をきめて準備を始める。
枯れ木でたき火を起こして暖を取る。最近季節は暖かくなったとは言え、夜間はまだかなり冷え込みが厳しい。
「保存食は、と……あ?なにしてんだい?」
レナードがアリシアを怪訝そうに見た。
「なにって……御飯作るんですよ〜??」
平然と背負い袋から鍋や小さなフライパンを取り出しつつ答える。食器まであったりもする。ずっと持ち歩いている使い込んだ品々だ。
「保存食ってあんまり好きではないので〜」
「そりゃまあ、あんまし旨くはないけどよ……」
レナードと会話をしながらもテキパキと手際よく支度をする。街で購入した時にあらかじめ下ごしらえをしておいてもらった材料を軽く炒めて香辛料を放り込み、傍らで鍋に塩漬けの肉を使ったスープをこしらえた。
「うん、おいしいです〜」
味見をして幸せそうに笑う。
「旨そうだなぁ。どうだ、今夜は俺達3人の結成を祝して乾杯といこうぜ!」
レナードが革袋を持ち上げて言う。
「はい〜。どうぞ、たくさんありますから〜。召し上がってくださいな〜」
にこにこと笑いながら2人に料理を勧める。料理は当たり前のように3人前用意していたのだ。
「……ふむ。それもいいだろう」
ウィルもうなずき、軽く革袋を持ち上げた。
「おっ、アリスちゃん性格いいなあ。あのさ、ワインも分けてくれないか?ほら、ウィルも飲みたがってるしさぁ」
「私はいらないぞ」
そういえばこの2人は革袋につめてきたのは水だけだった、と思い出した。
(ウィルさんは確か飲まなかったと思いますけど……あれ?レナードさんってお酒好きではなかったかと……??)
不思議に思いつつ、はい、とワインの革袋から銅のマグについで渡す。
「おう、ありがとな。んじゃ、乾杯!」
レナードの音頭で軽く乾杯をし、料理を食べはじめた。
辺りはすっかり日が落ちて、時々たき火がぱっちっと弾ける音が闇に響く。アリシアは温めたワインを飲みつつレナードの話に相づちを打っていた。
ふと、沈黙を保つウィルが気になった。
(御飯……おいしくなかったでしょうか?)
そーっと、たき火の向こうに座るウィルに意識を移す。
黙々と料理を口に運ぶ一方でレナードの話を聞くともなしに聞いていたようだ。時折口元におそらく本人も気付いていないだろう微笑みが、本当に小さくだが、浮かぶ。どうやら料理は気に入っていたようだ。パンに溶かしチーズを塗った物を食べているその横に置いてある皿は、とうに空になっていた。
なんだかほわっと、ワインのせいではなく暖かくなる。嬉しくて、にこにこと笑いながらウィルの前に手元のまだ残っている大皿を置いた。
「……?」
アリシアの顔を見上げた彼にスープのお替わりをよそった器を渡して言う。
「いっぱいありますから、たくさん食べて下さいね〜」
「……ああ、すまない」
「いいえ〜、……ありがとうございます〜」
「なぜ、君が礼を言う?」
微笑みながら言ったアリシアに、不思議そうにウィルが聞いた。
「だって、う……」
「いや〜、実にうまい!」
答えようとした時、レナードの大声が周囲に響き渡った。
上機嫌でワインのはいったマグをふりかざし、片手に炒めものを挟んだパンを持ってぶんぶんとふっていた。
「うまいっ!料理もワインもうまい!……………………いてててててて」
カランっ……
マグを取り落とし、急に腹を押さえて呻き出す。脂汗が額に滲みだしていた。
「だ、だいじょうぶですか〜っ!?どうしました?」
慌ててアリシアが駆け寄り、背中をさする。なにか、まずいものでも料理にいれてしまったのだろうか。不安でおろおろとし始めた。と、レナードがまだ少し歪んだ笑顔を浮かべて、
「……いててて。あ〜。やっぱりまだ飲むべきじゃなかったか……。酒は控えるように言われてたからな…………」
「は。」
面喰らう。
「その年で医者に止められているとは……。よっぽどだな」
呆れたようにウィルが呟く。
「……あ〜。大丈夫だぜ、アリスちゃん。…………ん?どうした、ウィル?」
もう大分痛みは引いたらしく、なんとか普通に見える笑顔をアリシアにむけてからレナードはウィルの視線に気付いたらしい。
「…………ほどほどにな」
酒を全くといっていいほど嗜まないウィルもなにがしか思うところがあるらしくレナードにうなずいてみせた。
「……」
(だから、お酒を持ってこなかったのですね…………)
そんな2人の様子をぼーっと見ながら酒好きのはずのレナードの行動にアリシアは納得がいった。
自他共に認める酒豪であるアリシアは酒に飲まれて苦しんだことは一度たりともないのでレナードの苦しみは理解できなかったが、男2人はなにやら共感できる物があったらしい。
「……はぁ。あの、あまり無茶しないでくださいね〜……」
ぼんやりと言いながらも、おかしくてだんだんと込み上げてくる笑いは、どうやら押さえられそうもなかった。
ひさしぶりに、兄様の夢を見た。
『アリス』
一生懸命後を追い掛けると、いつも少し先で待っていてくれる兄様。昔から、そうだった。いつも先に行く兄様。いつも、追い掛けている。
『アリス』
兄様の笑顔も呼ぶ声も変わらないのに。追いつけない。
『アリス……僕のアリシア』
必死で追い掛けているのに。走ってるのに。兄様は立っているだけなのに。泣き出して足がもつれて倒れてしまう。
はっと顔をあげると、真っ白で、兄様の姿はどこにも見えない。
自分だけ。
「にいさまーーーーーーーーーーーっっっっっっっっっ」
叫んでも声はただ、どこまでも続くような世界に吸い込まれて行く……。
(アリス、なんて呼ばれたからでしょうか……)
疼く頭を押さえてアリシアは呻いた。
あの夢から醒めるといつも鈍い頭痛に襲われる。しかし、それすらも気にならない程の胸の喪失感にたえるのが辛い。
ぱちり。
たき火が鳴る。揺らめく炎に照らされてオレンジに染まったアリシアの頬を冷たい雫がつたっていった。
「兄様……」
たき火の向こうで眠るウィルが少し身じろぎをする。
夜空を見上げると月が西の導き星にかかっていた。ぐい、と涙をふくと、アリシアは少し離れたところで眠っていたレナードを見張りの交代のために起こしにかかった。