<猿、増える(4)>
アルダズ山はわりに緩やかな起伏で、歩くのにさしたる支障はなかった。木々は青々と茂り、物騒なことなど何もないかのような錯覚に陥りそうな程静かだ。
「は〜……つかれ、ます、ねぇ…………」
一行のしんがりについたアリシアは体力はある方だったが、足の早い2人に着いて行くのがやっとだった。
「まだ、なんにも、見え、ないですね〜……」
「……無理して喋らなくてもいいだろう」
ほにゃ、と笑みを浮かべる。
「はあ……でも、なんだか、少しだけ、心細いので……」
「冒険者のに、か?」
「ええ……ちょっと、違う、んですけど、ね…………ふ〜」
ちょっと立ち止まって思いっきり伸びをする。少しローブのそでをまくりあげると冷たい空気が火照った体を心地よく冷やしていく。
「おーい、置いてくぞ〜?」
「あ、は〜い〜」
慌てて荷物を持ち直し小走りで進む。
(今も昔も、誰かの背中を追い掛けるのですね)
ちゃら。
蒼い石がアリシアの胸で揺れる。
(いいえ、私は今も追い掛けている。いつか、追い付くために)
「はあ、はあ……ああ、やっと追い付きました〜……」
にこにこと笑うアリシアを一瞥するとウィルはレナードを引き止めた。
「おい、少しゆっくり歩け」
「あ?いいけどよ、他のやつらに出し抜かれてもしらないぜ?」
「かまわんだろう。どうせもう出発の時点で遅れをとっているのだからな」
再び山道を進む。今度はアリシアでも十分着いていける速度だ。
「……ありがとうございます〜」
「礼を言われる筋合いはない。こんなところで無駄に体力を使うことはないと考えただけだ」
予想通りの反応だったのでつい微笑んでしまう。
「それでもやっぱり、ありがとうございます〜」
「…………勝手にしろ」
その後はアリシアも口を聞かずにただ黙々と足を前に運んでいた。口を聞くと空気で乾燥してしまい、いざと言う時にうまく発音できないような気がしたからだ。
(う〜ん、まだ洞くつなんて見えてこないわね〜…………)
元気よく先頭を進むレナードに目をやってふと違和感に襲われた。
「……………………?」
ガサッ。
レナードのすぐ前にあった大木のわきから、茂みを割って小さな影が躍り出た。
「!!!」
すぐにスタッフを握りしめいつでも呪文を唱えられるように身構える。
「猿か!」
「来い、エテ公!」
村長の言葉通り、二つの足でしっかりと地面を踏み締めて、猿のような生物が鈍く光るショートソードを握って目の前に立っていた。額の赤いできものが無表情な猿の容貌に無気味なアクセントを添える。
「ギ……ギギ」
右手の剣をふりかざすと、意外に早い動きでウィルに向かって襲い掛かってくる。 「くっ」
「気をつけて下さい〜っ」
素早く一歩下がって2人が剣を振るうのに十分なだけのスペースを確保する。自分があまり近くに居てもできることはない。
(これ……が、猿……)
す、とスタッフを頭上にふりかざす。
「万能なるマナよ、我が言葉、我が力をもちて望みしものにかりそめの力を!」
アリシアの力ある言葉に答えるようにかかげられたスタッフが一瞬白く輝き、同時にレナードの剣が光を放ちはじめる。
「レナードさん、魔力を付与しました〜!」
「おう、ありがてぇ!」
猿の最も近くに居たが、猿が最初に狙ったのはレナードではなくウィルだった。素早い動きで猿の行動を封じると、大きく斬り付ける。
「キキーッ!!!」
大きく袈裟がけに斬られ、しかしそれでも猿はまだ倒れなかった。
(…………!!)
見た限り重傷を負っているはずなのに、猿のからだからは1滴の血も流れ落ちていない。
(やっぱりこの猿は……)
「ギギーーッッッ!!」
白い魔力の帯を残してレナードの剣が猿を薙いだ。
鈍い音をたてて猿のからだが地面に叩き付けられる。と、周囲にうす黄色い光が満ちたかと思うと、猿の遺骸はその場からきれいに消滅していた。
「……なっっ?」
「ああっ、首まで消えましたっ」
「何?!首はっ首はどこへいったっ!!」
がさがさと慌ててレナードが付近の茂みを捜しまわる。
「……ち。全てがこの調子だとすると働き損になりかねないぜ?」
「ふん。要するに倒すのに数をこなしても仕方ないということだな」
探しながら言う2人の横で、先ほどの猿の様子を書き取りながらアリシアが呟く。
「これは……やっぱり元凶を叩いてなにか別の証拠を手に入れるしか、なさそうですね〜……」
「……ああ。さっさと親玉の本拠地へ行くしかあるまい。…………楽しくなってきたな」
うなずくウィルの向こうでレナードがぶんぶんと剣を振り回し、
「あんなエテ公なら何匹あらわれても問題ないしな。ガンガンいこうぜ!」
「ええ、いきましょう〜……」
すこし気力が抜けた声でアリシアが答える。まだ技術に劣る彼女は魔術を使用するとかなり消耗するのだ。
(ああ……先に剣が効くかどうか確かめてから魔法をかければよかったです……)
後悔と共に歩きながら、これから先の道のりを思ってアリシアは深く息をついた。
どれほどの時間が過ぎたのだろうか。
あるのかないのかわからない道を歩き続け、村長に聞いたのと同じであると思われる場所に辿り着いた。
「ふ〜。あれですね……あら?どなたでしょう……」
大分大きく見えてきた洞窟の入り口に、冒険者風の格好をした男が一人佇んでいる。
「……見た顔だな」
「ありゃあ、店の馴染みじゃないか?」
3人が近付いて行くと男もこちらに気が付いたらしく片手をあげた。
「おう、君たちも猿狙いか?でも、首を手に入れようと思っても無理みたいだぜ」
「…………それは知っている」
無愛想にウィルが答える。
「……で、君はなぜ洞窟に入らないんだ?それとももう入ったのか?」
男はひょい、と肩をすくめた。
「ん……このままじゃタダ働きだろ。それでこの先の方針をね、決めてたんだ」
「あの……他の皆さんはもう、中に入られたんですか〜」
にこにことしながらアリシアが問いかける。その視線は男の額のバンダナにじっと注がれていた。
「俺より先に来た連中はもう先に入ったみたいだぜ?」
「ちっ。じゃあ、とっとと入ろうぜ!」
レナードが洞窟の薄暗い入り口を指差す。
「…………君は、単独行動なのか?」
「ん?ああ、誰とも合流できなかったからな。そうか、君たちに付いて行くという選択肢もあったな……かまわないか?なんか、そっちの兄さんは秘策がありそうな顔をしてるしな」
「ウィルさんはいつもこうですよ〜……」
小さな声でアリシアが呟く。それをじろっと横目で睨むと、
「……秘策ね。…………それはともかく多少は腕が立ちそうだな。付いてきてもかまわんぞ」
「わたしも異存はないですの。よろしくおねがいします〜」
ローブの乱れをなおしながらアリシアもうなずく。
「ついてきたいなら俺はかまわないぜ?あんた名前は?」
「そうか。じゃあ、お邪魔するぜ。おれはディッシュという。よろしくな」
レナードに答えて男は自分の胸当てを小突いて名乗った。
「ま、分け前分の働きは期待しといてくれよ。誓うぜ」
「……分け前は1/4ずつだからな」
「頭割りだろ?分かってるって」
「……けっこう明るいですね……明かりは、必要ないみたいです〜」
洞窟を覗き込みながらアリシアが告げる。
「っしゃ。ま、ここは俺が前に出させてもらうぜ。あんたとアリスは後ろを頼むぜ」
「まて、一応なにがあるか分からん。私が先に行こう」
はやるレナードをウィルが制した。
「あの〜、二人は十分に並べる広さですから〜、お二人で先に行って下さいな」
洞窟を指し示して笑い、アリシアはディッシュの横に並ぶ。
「あ、そうでした。わたし、アリシアといいます〜。たしか店でも名乗った事はごありませんでしたものね〜」
「おう、そうだな。アリシア……か。いい名前だ。よろしく頼む」
「ふふっ……一番上の兄様がつけてくれたんです……ありがとうございます〜」
微笑みが少し寂し気になったがディッシュは幸い気が付かなかったらしい。
「あんたらは?」
「俺はレナードだ。知ってる奴にはレッドって呼ばれてる。あんたも、そう呼んでくれ」
「…………ウィルだ」
「おう、んじゃ、レッドにウィル。ひとつよろしく頼むぜ!」
ディッシュは一つウィンクをして、おもむろに洞窟に踏み込んだ。