<猿、増える(5)>
「こりゃあ……頼むぜ」
洞窟の中はほのかに明るかった。アリシアが興味深く思って観察したところ、どうやら壁に自生している苔が光を放っているらしい。
足下に不安はそれほどなかったが一行がゆっくりと進んでいくと、ほどなく樫の古びた粗末な扉が道を塞いでいた。
「いわれるまでもなく、私の出番のようだな」
進みでたウィルが慎重に扉を調べる。
しん、とした空気にいつのまにか息まで止めていたことに気が付いて、アリシアは小さく笑いを漏らしてウィルに睨まれる。
「……大丈夫でした?」
ウィルが扉から十分離れたのを確認してから小さな声で問う。
「……どうやら、なにかしらいるようだ。敵かもしれん。気をつけろ」
「出番か。まかせろ」
ディッシュが前に進み出る。レナードとふたり視線をかわしてうなづきあう。
「ディッシュさんよ、腕の見せ所だぜ?」
「気を付けて下さいね……あ」
後ろに下がりながら、ふと思い付いた。
「あの、開けてすぐにスリープクラウドかけてみてはどうでしょう〜?」
「ああ?魔法を多用することはないぜ?猿とは限らないんだし」
「でも……やってみるだけやってみましょう〜」
きゅっとスタッフを握りしめ、呼吸を落ち着ける。
魔法を使う時の癖。祈るように、呼び掛けるように自分の心に沈んでゆく。ただひとつそこにある名前。刻み込まれた名前。
その名前を呼ぶ度、強くなっていけるような気がする。
ゆっくりと囁くような声で、万物を構成するもの……マナをとらえる。
「行くぜ!!」
レナードが扉を叩き付けるように開いた。
猿たちが視界に入った瞬間、アリシアの呪文が完成する。
「安らかなる眠りを届けよ…………」
確かな手ごたえを感じる。たいていの生物ならば、これで眠りの世界へと誘われる……はずだった。
「……なっ……」
アリシアの放った呪文によって空気は確かに変質した。
「そんな……」
一匹も倒れずに迫ってくる猿たちの姿に呆然として呟く。
前列に居たディッシュがすばやく一匹を切り倒し、それは消滅していった。
「ちっ……これでは不利だな」
ボウを用意していたウィルが部屋の狭さに気付いてダガーを引き抜く。彼をかばうようにレナードが近付いてきた猿を袈裟がけに斬り付けた。が。まだ倒れない。
(どうしましょう……魔法が効かないなんて……)
さきほどの事態に少なからぬショックを受けアリシアは戸口に立ち尽くしていた。戦いの流れはこちらに有利に傾いていたが、何もしないでいるのは耐えきれなかった。
「あ……わたし……」
「お嬢ちゃんの魔法は最後にとっておいてくれ」
猿の攻撃を受け止め切り返しながら、ディッシュが迷っていたアリシアに声をかける。別の一匹を牽制していたレナードも、振り向きはしなかったが頷く。
「ま、俺たちにまかせておけ」
「…………はい」
皆の邪魔にならないように戦闘の場から離れて、アリシアは唇を噛み締める。
(こんなことじゃ、いけない……)
冷静に相手や状況を分析しなければいけなかった、と後悔が胸を締め付ける。自分は、何においても強くならねばならないのだ……。
(こんなことじゃ…………)
剣戟はやまない。
ウィルが相手の胸元に飛び込み、深く切り裂く。また、一匹。そしてディッシュが叩き込んだ一撃で戦いは終わりを迎えた。
「ったく、これじゃほんとにタダ働きじゃねえのか?」
「……ふむ。まあ、あとが汚くなくていいがな」
ぐちるディッシュにウィルが珍しく軽口を叩く。
「なにもねぇな……先、行くか」
レナードの視線の先には一行が入ってきたのとは別の、しかしそっくりな扉があった。
扉を抜け、そしてまた変化のない道が続いていく。
(わたし……私は…………役に立たない……?)
沈黙を保ったまま、ただ黙々と歩みを進める。胸に刺さって離れない焦燥感。呪文が効かなかったことよりも、その無力感が重い。
(いいえ、あれには絶対に理由があるはず……あの生き物に理由が……)
必死で知識の奥を探る。
魔法の効かない生物。魔法の……『スリープクラウド』の効かない生物。自然にはあり得ない……。
「…………あっ……」
思わず声をあげたアリシアを不審そうにウィルたちが見るが、首をふってそのまま歩き続けた。
(そう……たぶん、そうです……だったら、つじつまがあうもの……)
自分の考えが達した結論に確信を得る。
(そうだったらわかる……うん、大丈夫。今度は、失敗しない)
自分に言い聞かせるように呟いて頷くと、アリシアは少し遅れ気味になっていたのを取りかえすように小走りになった。
どんっ。
「いたた……」
「しっ……」
前方で立ち止まっていたウィルの背中にあっさりとぶつかる。十字路の手前で立ち止まり、どうやら耳を澄ましてなにかを聞いているようだ。
よく耳を澄ましてみると確かになにやら重い足音が複数聞こえる。これは……
(鋲の打ってあるブーツ……?)
しかも、通路の両側から。
レナードがアリシアの横にいたディッシュにさり気なく視線を送る。頷いてふたりとも武器をいつでも飛び出せるように用意した。
「……一旦下がった方が慎重か?」
ぼそぼそとウィルがささやき、一行は十字路の暗がりに身を潜める。
「おう、こんなところに御同業が。どうだ?首はとれたか?」
「さっぱりだぜ。これじゃ報酬も無しってかい」
姿を現したのはどう見ても冒険者たち。しかもほとんどに見覚えがある。確かにいつもの店の常連たちだ。
「……大丈夫、みたいですよ〜?」
アリシアの言葉にウィルが頷く。
「……おい」
「こんにちは〜」
「おう、こっちにも御同業」
冒険者たちは急に現われたアリシアたちにもたいして驚いた様子もなく気軽に返事を返してきた。
「どうだい、そっちは全部探索したのか?じゃ、むこうだけだな」
たったひとつ、誰もやってこなかったアリシアたちの正面を指差す。
「あら〜?みなさんは、どちらから……」
「ああ?俺たちはこっちから」
四人組が左を指差し、
「おれたちはこっちからはいってそのまままっすぐ来たぜ」
五人組が右を示した。
「まあ……つくりは単純でな。通路、部屋に猿がいて、また通路、で、ここと」
「こっちもそうだ」
「お嬢ちゃんたちのほうも同じかい?…お、忘れてたが俺はガストだからな」
「わたしも、お嬢ちゃんではなく、アリシアと申します〜…ええと…出入り口が複数……で、十字形。ひとつづつの部屋……ですね〜。ということはこの先もおんなじでは〜……」
う〜ん、と腕を組んで唸るアリシアに苦笑して、
「……そうだな、だが、まあ、手間は省けた。行ってみるか」
ウィルがまっすぐの通路に視線を送る。他の冒険者たちも顔を見合わせ、同じ方向を見つめた。
ふと、気がついて手近なひとりに声をかける。
「どうです?やっぱり猿、消えてしまいますか〜?」
「ああ……だめだ、光って消えちまう。どうにかして欲しいよ」
「なあ、この際、首の数で報酬が決まるわけじゃねえ。みんなで行かねえか?」
ひょい、とレナードが首をすくめる。
「よし、行こうぜ」
「…………大所帯だな」
にこにことしているレナードとは対照的にウィルはなにやらぶすっとして答えた。ふふっと笑ってアリシアはそっとペンダントを押さえる。
(私に、勇気をください。大丈夫……きっと、大丈夫)
「しかし、このままつっこむというのも芸がないんじゃないか?」
「あー?でもなんにもしようがないだろう」