<猿、増える(最終話)>
(ああ、もう、こんな時に役にたてない……っ……)
立っているのが辛く、石壁に身をもたせていたが、アリシアは無理に身を起こした。
「も、う一度……っ」
遠ざかりそうな意識を必死でつなぎ止めてスタッフをかかげる。
「無茶すんじゃねえよ……」
誰かがアリシアの肩に後ろからそっと手を置いた。とたんにあれ程の疲労感が消え失せ、呼吸が楽になる。
「あ……」
振り向くといつのまにか来ていたディッシュがウィンクする。
「ま……これがおれの隠し技ってね」
「ありがとうございます……無に、帰りなさいっ!」
スタッフから光が放たれ、ガーゴイルを直撃した。
激しく埃を巻き上げ、漆黒のからだが床に叩き付けられる。その姿はゆっくりと元の石の色を取り戻していった。
「おっしゃっ!全部消えたぜっ!」
誰かの声に顔をあげると、あれだけいた猿ゴーレムたちの姿は全て消え、戦いの名残りは床のガーゴイルの残骸と残された血痕だけだった。
「これは……無理だな。とりあえずあいつは諦めよう。少なくとも猿の発生源が分かったことだしな……これが、鏡か」
符を拾って見ていたウィルが鏡の近くに寄って覗き込んだ。鏡にウィルの姿が映る。と、その姿がゆらりと揺らぎ、瞬間ウィルの目の前にもうひとりのウィルが出現した。……手に、剣を握って。
「……なっ!?」
おおきく舌打ちすると飛び退り、鏡から現われたウィルの攻撃を危うくかわす。
「……しまった、猿が猿を生み出していた時点で気が付くべきだった。みんな、鏡に近付くな!」
「よし、首を刎ねよう!」
妙に嬉々とした様子で近くに居たレナードとディッシュがウィルゴーレムに向かっていく。
「……あまり、いい気はせんな……」
自分と同じ姿のものに危害が加えられるという様子に嫌気がさしたか、ウィルが符に目を落とす。
「ウィル」
「……ん?」
アリシアがいつの間にか後ろから覗き込んでいた。
「その符……とても強い、魔力を感じるです……あの、鏡も〜」
「ほう……これが蓋か?あいつが誤って外したのか……」
「この古代語……封印のためのものですね〜……」
ザシュッ。
光とともにウィルゴーレムの姿は消えた。やれやれといったように肩を回してディッシュが戻ってきて、レナードは落ちていた布で剣を拭った。
「なるほどな!そいつを貼れ!」
鏡に向かってぶんぶんと腕をふるレナード。全くと言っていい程疲れは感じていないらしい。
「……鏡を覗かなければ、というより、映らなければ大丈夫だろう。貼ってくれ、アリシア」
「はい〜………………えい。」
てててて、と寄っていって、ぺち、と貼り付ける。アリシアの気力の抜けた声に、肩の力が抜けたように何人かが笑いを漏らす。
「ん、魔力が感じられなくなりました〜。これで、もういいと思いますよ〜。でも……あの猿、ただの猿だったんでしょうか〜?」
疑問のように言いながらも、その言葉は確認のようだった。残念そうな響きと諦めきれない思いが自然とこもってしまう。
(ああ…………また、はずれでしたか…………でも私、少しは役にたてました……よね?)
うん、と頷いてスタッフを握りなおす。ペンダントに触れるのは、いつもの癖。
「まあ、所詮猿は猿だしなー。あいつの首一つ取っても仕方ないしな……まさにタダ働きか!」
レナードがぼやく。ウィルが肩を竦めた。
「そこまで高度な魔術ではないような気がするぞ。猿がなにか飾り物でもつけていたら怪しいが、おそらく大丈夫だろう。……ただの、迷い猿さ。……少なくとも今回はこれで私たちの仕事は終わりだ」
「やっぱりか……運がねえな、おれたちも」
戯けたようなディッシュの言葉に皆が笑った。アリシアもくすくすと笑いながら鏡をこんこん、と軽く叩く。
「う〜ん、この鏡を、領主さんのところにお持ちしましょう〜。証拠です〜」
「…………ま、そういうことだな」
「おい、領主を通すより、その鏡を売り払った方が金にならねえか?」
レナードの言葉にウィルとアリシアの二人が同時に首をふる。
「だめです〜。もう大丈夫と、安心をさせなくては〜」
「…冒険者を続けたいなら、正当に依頼をこなした方が後々いいと思うぞ。長い目で見れば、いい商売方法だ」
「…………じゃあ、いこうぜ…………」
極めて嫌そうにレナードが呟く。部屋の中の冒険者達は自然と顔をあわせ、大きな笑い声をあげて勝鬨を歌った。
「それではこれが、お前達の言う『元凶』なのか?」
いささか中年太りの気のある領主は、謁見の間に控える冒険者達を見下ろして鏡に手をふった。
「……そうです」
さきほど事情を説明した黒髪の男が、表情を変えずに答える。
この仕事に参加したとして12人の男達が今日領主の館を訪ねてきた。どうやらほかにもう1人、女の魔術師がいるらしいが、なんらかの都合とかでここには来ていないらしい。
(ふん、こんな若造よりはその女のほうがまだ謁見させる価値があるわい)
少し好色な笑みを浮かべて領主は豪奢な椅子から立ち上がった。
「ただの鏡ではないか。こんなののどこに危険がある」
大きな古ぼけた鏡の前に立ち、ふん、と荒く鼻息を漏らす。
「こんなのでは証拠にはならん……ん?なんだこれは。邪魔だぞ」
「…………」
びっ、と領主の手が表面に貼られた複雑な紋様の符を剥ぎ取る。冒険者の一行から忍んだ様な笑いがもれた。
「な、な……っ」
「……だから申しました。これが『元凶』だと」
黒髪の男が歩み寄り、剣を持った領主と慌てふためく領主の間に入る。赤い髪の戦士がにやにやと笑いながら腰の剣を抜いた。
「へっ、剣の携帯を許しといてよかったな、おっさん」
無礼な男の言葉もとがめる余裕もなく、領主は腰を抜かしてあわあわと床を這って逃げ出そうとしていた。
…………数秒ののち、冒険者たちの働きを目の当たりにして報酬を払わざるを得なくなった領主は、その後しばらくの間、鏡に近付くことはなかった。
その街の小さな宿の一階でアリシアはレナードとウィルを出迎えた。
「どうでした〜……って、聞かなくてもよろしいですね〜」
「……ああ。やはり領主が覗いてくれてな、それほど苦労はしなくてすんだ」
「あいつをぶったぎるのはなかなか楽しかったぜ?」
物騒な台詞を吐きながら背中にしょった大きな平たい包みを床におろす。
「アリスちゃんも来りゃ、面白いもんが見れたのによ」
「あ〜、ごめんなさい〜。ちょっと、外せない用事があって〜」
おたおたと手元の果実酒のグラスに視線を落として笑うアリシアにちょっと不審そうな視線を向けたが、ウィルはそのまま立ち上がって酒場のカウンターに飲む物の注文をしに行った。
「あ、俺はエールを頼むぜ〜?」
その背中に声をかけて、レナードはアリシアに小さな袋を渡した。
「…………これは〜?」
「アリスの報酬だよ。あんま多くはねーけど、ま、あの人数だったしな」
「ありがとうございます〜」
ほにゃっとしたアリシアの笑顔につられてレナードも微笑む。戻ってきたウィルがテーブルの上にエールのはいった大きなジョッキを置いた。
「しかし、おまえは胃を傷めているんじゃなかったか?」
「お、あんがとよ。あ〜、あんなもん、気にしなきゃいいんだって」
「そう言う問題か……?まあいい、それよりもその鏡だが」
ちらりと鏡を見る。表面は誤って符を剥がしてしまわないように大きな布でおおってあった。
「……どうする?仮にも魔法の品だ、簡単に処理していい物でもない」
「賢者の学院に引き渡しては〜?」
のんびりとアリシアが提案する。
「あんまりというか、まったくお金にはなりませんけど〜……」
「だったらそれより割っちまおうぜ!割ろうぜ!そして酒盛りだ!」
「…………学院には連絡はつくのか?」
全く無視してアリシアに問う。アリシアは複雑な顔で眉にしわを寄せた。
「連絡は簡単につきますけれど〜……う〜ん……ちょっと……でも……」
「割ろうぜ〜なぁ〜」
「いや、無理なら他の手を考えるが……」
「いいです、大丈夫です〜。近日中に手配しておきますね〜」
「ああ、……頼む」
「…………いいんだ、いいんだ俺なんて…………」
とうとう後ろをむいて小さくなっているレナードに苦笑して、ウィルがその肩を軽く叩く。
「……まあ、いいさ。初仕事にしちゃ、上出来だ」
「!?」
がばっと振り向き、驚いたようにウィルを見る。
「おまえ、これからも俺とやってく気があるのか!?」
「…………私のように考え過ぎるやつにはお前のようなものも必要なのだ。結構私はお前のことが気に入ったぞ」
相変わらず無表情に答えて入るが、レナードもアリシアも、その口元に浮かぶ微かな微笑みを見のがさなかった。期待に満ちたレナードの視線を受け、アリシアはにっこりと笑う。
「レッドさんといると面白いですもの〜。ウィルも、頼りになりますし。これからもよろしくですの〜」
「うう…………ありがとよ、ウィル、アリス……こんなにいい仲間に恵まれたのは初めてだぜ……」
もう酔ったのか、レナードが本当に涙ぐむ。
彼は、彼等は気が付いただろうか?アリシアが、いつのまにか彼等を名前で呼んでいたことに。
(パーティーを組むの、初めてなんですよ?レッドさん……ウィル……)
いつもひとりでいた。これからも、ずっとひとりで歩み続けるはずだった。でも……。
(それも、いいかもしれませんね。こうして、しばらく彼等といるのも……ねえ?兄様……リオン……?)
いつかは、また歩き出す。それが、わたくしの生きる意味だから。だけど、しばらくここに留まるのもいいかもしれない。自分に与える、しばらくの休息に酔ってもいいかもしれない。
アリシアは自分のグラスをかかげると、新しい仲間達に乾杯をする。祝福と、希望を込めて…………。